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神戸地方裁判所 昭和50年(ワ)50号 判決 1979年2月27日

昭和五〇年(ワ)第四四五号事件

原告

清水信子

外二名

右三名訴訟代理人

渡辺四郎

外一名

昭和五〇年(ワ)第五〇号事件

原告

兵庫県医師国民健康保険組合

右代表者

渡辺一九

右訴訟代理人

田原潔

昭和五〇年(ワ)第四四五号、

同第五〇号事件

被告

田中義輝

右訴訟代理人

小林則夫

昭和五〇年(ワ)第四四五号事件

被告

古野一揮

右訴訟代理人

清水賀一

右同

被告

右代表者法務大臣

古井喜實

右同

被告

兵庫県

右代表者知事

坂井時忠

右同

被告

神戸市

名代表者市長

宮崎辰雄

右三名指定代理人

細川俊彦

外六名

主文

昭和五〇年(ワ)第四四五号事件

一  被告田中義輝、同古野一揮は各自、原告清水信子に対し金三七九七万一三三四円、原告清水良輔及び同清水恭子に対し各金三七七七万一三三四円並びにこれらのうち、原告清水信子につき金三六三〇万四六六八円、原告清水良輔及び同清水恭子につき各金三六一〇万四六六八円に対する昭和四九年九月二三日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告田中義輝、同古野一揮に対するその余の請求並びに被告国、同兵庫県、同神戸市に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告らと被告田中義輝、同古野一揮との間に生じたものはこれを三分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告田中義輝、同古野一揮の負担とし、原告らと被告国、同兵庫県、同神戸市との間に生じたものは、原告らの負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴部分に限り仮に執行することができる。

昭和五〇年(ワ)第五〇号事件

一  被告は原告に対し、金五一〇万一一九〇円及びこれに対する昭和五〇年二月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、それぞれを各自の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

(昭和五〇年(ワ)第四四五号事件について)

一本件中毒事故の経過

1  請求原因1(編注――本件事故の発生)については、被告国、同県、同市との関係では各当事者間に争いがなく、被告田中との関係では、亡潤一が昭和四九年一月一〇日午後六時三〇分頃被告田中の経営する割ぽう・すし店「鮨友」において、同被告の提供したフグ料理を食べたことは当事者間に争いがない。

請求原因2(編注――被告田中のトラフグの仕入れと提供)については、被告田中との関係では、被告田中が肝の四切れを亡潤一に提供した過失により同人をフグ中毒にかからしめた点を除き当事者間に争いがなく、被告古野との関係では、被告古野が昭和四九年一月一〇日頃同被告の経営する大蔵市場内「山すけ」鮮魚店の店頭で、トラフグ一尾を荒さばきし、肉、皮、肝を仕分けしビニール袋に入れて被告田中に売渡したことは当事者間に争いがない。

請求原因3については、被告古野との関係では、被告田中が被告古野の古くからの顧客であること、被告古野がトラフグ一尾を荒さばきし、肉、皮、肝と仕分けしビニール袋に入れて被告田中に売渡したことは当事者間に争いがない。

2  <証拠>を総合すると次の各事実が認められ、これを覆すに足る証拠はない。

(一)  被告田中は、昭和三六年頃より神戸市生田区において割ぽう・すし店「鮨友」を経営し、フグ料理もその頃より行なつていた。被告古野は、明石市内において昭和三八年頃より鮮魚小売「山助」を経営し、昭和四〇年頃よりフグも扱つていたが、扱うフグのほとんどがトラフグであつた。そしてその頃より、被告田中は「鮨友」で使用する魚を被告古野方より仕入れ、フグについても同様にして仕入れていた。

(二)  被告田中は、フグ調理の講習会を受講していなかつたため被告古野にフグを注文したときは、ほとんどの場合、古野が荒さばきして、卵巣と胃と腸を除いて、肉、皮、肝とに仕分けしてそれぞれビニール袋に入れたのを受取つていた。被告古野は、昭和四二年一一月神戸市生田区で開かれた県衛生部市衛生局等主催の飲食業者、魚介類販売業者等を対象とするフグ講習会に出席し、フグの肝は危険なので客にあまり出さぬよう、安全なのはせいぜい小指第二関節位の量まで、との指導を受け、そしてそのことを二、三度被告田中にも話して注意し、又右講習会でもらつてきたフグ毒に関するパンフレツトを被告田中に渡した。

(三)  亡潤一は、昭和四七年頃より「鮨友」を利用していたが、来店してフグ料理を注文したときは被告田中はフグの肝も出し、亡潤一も肝を好物にしていた。被告田中はパンフレツトを読んで、フグの毒は肝は四〇グラム位までなら安全であり、又、水溶性なので水洗いすれば大丈夫と考えていたので、肝を出す際は、前記のとおり被告古野から仕入れた肝を小さく切り塩もみして、水洗いした後、炊いてからマツチ箱(小)の四分の一位のもの四、五個を出していた。

(四)  昭和四九年一月一〇日、被告田中は、その前日訴外野沢武三郎から四、五人分のフグ料理の予約を受けたので、前記「山助」で、被告古野がトラフグ一尾(約2.25キログラム)を荒さばきして卵巣と胃と腸を除いて、肉、皮、肝と仕分けしそれぞれビニール袋に入れたのを仕入れ、「鮨友」に持帰り、肝は血抜きしてあるのを小さく切り、塩もみし水洗いした後、炊いて準備していた。

(五)  同一〇日、亡潤一は前記野沢や訴外橘田らと計四人で、ゴルフをした後、午後六時すぎに「鮨友」を訪れた。亡潤一らは、最初にヒラメの刺身やシマアジなどを食べて酒を飲み、それから被告田中が用意していた一七片に切つた前記フグの肝(一片の大きさがマツチ箱(小)の四分の一位)を出し、亡潤一らはこれを、野沢は五片、他の者は四片づつ食べたが、二、三〇分位して、橘田が「指先がしびれた」と言い、亡潤一も便所に行き顔色が悪く「ゴルフですきつ腹で飲んだから」などと言い、又野沢も「ちよつときようのフグおかしい」と言い始めた。亡潤一らはその後もフグの身を食べ続けていたが、亡潤一は再び便所に行き食べものをもどしていた。午後八時頃亡潤一らは「鮨友」を出たが、野沢を除き、他の者は気分が悪いというのでそのまま帰宅した。

(六)  亡潤一は帰宅後も、気分が悪く体もしびれてきたので、医者を呼び、注射、点滴さらには人工呼吸を施したが、容体は悪化し、意識不明の状態でそのまま神戸労災病院に入院した。入院後も治療は続けられたが、意識は回復しないまま、昭和四九年九月二三日フグ中毒による脳循環障害(失外套症候群)で死亡した。

3  以上の各事実によれば、亡潤一は「鮨友」で、被告田中が被告古野より仕入れて調理、提供したフグの肝を食べ、それに含まれていたフグ毒による中毒のために死亡したものと認めることができる。

二被告田中、同古野の責任

1  フグの内臓、特に肝(肝臓)には猛毒が含まれ、これを食べて中毒死する者があることは公知の事実である。<証拠>によれば、フグ中毒による死者は毎年全国で数十名にものぼり、その毒(テロドトキシン)は、無色、無味、無臭のため外見上の識別はできず、熱にも強く、四時間程度の煮沸でも毒力に変化はなく、トラフグの場合、その肝は人間一〇人を死亡させる毒量を有していること、中毒の症状としては、摂食後二、三時間で口唇部、舌端にしびれがあらわれ、やがて運動マヒ、知覚マヒをきたし、意識混濁、ついには呼吸中枢のマヒによる呼吸停止に至るもので、死亡率は四〇ないし八〇パーセントであること、このようなフグ中毒死事故防止のためフグ条例を設けて、肝等の有毒臓器の消費者への提供、販売を禁止している都府県もあること、以上の各事実を認めることができる。

2  被告田中の責任

従つて、被告田中は、その提供する飲食物の安全性につき高度な注意義務を課せられる飲食業者として、前記のとおりの危険性を有するフグの肝については、これを飲食客に提供してはならない注意義務があるものと言うべく、それを怠り、亡潤一にフグの肝を提供して死亡するに至らしめた被告田中には過失があり、本件事故による損害を賠償すべき義務がある。

被告田中は、それまで十数年の間、本件と同様の方法で客にフグの肝を提供していたが、中毒事故の経験はなく、又、神戸地方ではフグ料理に肝を入れるのが常態であるから、同被告には注意義務違反はない旨主張するが、フグの肝が少量でも人間の生命をも奪う危険性を有することは前記のとおりであり、<証拠>によれば、同じトラフグの肝でもその毒性には個体差があり、その毒は水溶性ではあつても、毒性の有無、強弱は外見上識別できないのであるから、被告田中において、肝を水洗いしたり、客に提供する量を制限したりしていても、その危険性を完全に除去しうるものではなく、注意義務を尽くしたものとは到底言えない。

3  被告古野の責任

被告古野は、魚介類販売業者として、その販売する魚介類の安全性につき高度な注意義務がある。従つて、前記のとおりの危険性を有するフグの肝については、一般消費者に対する場合はもちろん、被告田中のようなフグ料理を行なう飲食業者に対しても、それが飲食客に提供されることが当然予想される以上は、これを販売してはならない注意義務があると言うべきである。飲食客に対する直接の提供者である飲食業者に、フグの肝を客に提供してはならない注意義務があるからといつて、前記注意義務を免れることはできない。そうすると、フグの肝を被告田中に販売した被告古野には過失があり、その結果被告田中の「鮨友」で惹起された本件事故による損害を賠償すべき義務がある。

被告古野は、被告田中に対し、肝はなるべく客に提供しないよう、提供する場合でも小指の先程度にするよう注意を与えていたから過失はない旨主張するが、フグの肝の量を制限しても、前記のとおりその危険性を完全に除去しうるものではなく、又被告田中に対し客に提供しないよう注意した程度では、自己の注意義務を尽くしたとは言えない。

三被告国、同県、同市の責任

1 憲法二五条は、国民の生存権を保障し、国が公衆衛生の向上及び増進に努めるべきことを規定している。そしてその具体化として、衛生行政の分野では、飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、公衆衛生の向上及び増進に寄与することを目的として食品衛生法が制定されており、右目的達成のために、厚生大臣や都道府県知事、市長らに、食品販売の基準の設定、不衛生食品の販売の禁止等の種々の規制権限が付与されている(同法四条、七条、一九条の一八、二〇条、二一条、二二条、二三条、二九条の二、二九条の三等)。そしてこれらの者は、公衆衛生の増進を図り国民生活の安全を確保するという行政目的を達成するために、与えられたこれらの権限を適正に行使すべき義務を負つている。もつとも、これらの規制権限については、食品衛生法の規定の趣旨からして、その権限を行使するか否か、又、どのような方法で行使するかは、原則として当該行政庁の専門的技術的見地に立つ合理的判断に基づく自由裁量に委ねられている、と言うべきものであり、従つて、これらを適正に行使する義務も、原則として、行政目的達成のために一般国民に対して負う抽象的行政上の義務であつて、具体的法律上の義務と解することはできない。

しかしながら、具体的事案の下で、これらの規制権限を行使しないことが著しく合理性を欠くと認められる場合には、当該行政庁は、規制権限を行使すべき法律上の義務を負い、これを怠るときは、その不作為は違法なものとなり、国又は地方公共団体はその結果生じた損害を賠償すべき責任があるもの、と解するのが相当である。そこで、どのような場合に規制権限を行使すべき法律上の義務が生じるかを考察するに、これら規制権限の行使が、前記のとおり公衆衛生の増進を図り国民生活の安全の確保を目的としながらも、他方、それが本来自由であるべき個人の活動を制限することを考慮するならば、問題とされる被害発生について、国家賠償責任との関係においては、(1)行政庁側にとつてこのような被害発生が予見可能であり、(2)行政庁側が規制権限を行使すれば容易にこれを防止できる状況にあり、(3)他に被害発生を防止する手段が容易に見出し難く、被害者の努力ではその防止がほとんど不可能であること、これらの要件が存在する場合には、行政庁は規制権限を行使すベき法律上の義務を負うものであり、それを行使しないでその結果損害が発生したときは、国家賠償責任を免れないものと解するのが相当である。

被告国、同県、同市は、食品衛生行政における厚生大臣らの権限は、公益目的達成のため、飲食業者との開係において与えられているのであるから、その結果特定個人が利益を享受することがあつても、右利益はいわゆる反射的利益にすぎず、従つて厚生大臣らは単に反射的利益を受けるにすぎない特定の個人たる原告らに対し、行政権限を行使すべき義務を負うものではないから、国家賠償責任を負うことはない、と主張する。しかしながら、将来生じ得べき損害を未然に防止する性格を有し、訴えの利益が問題とされる抗告訴訟と異なり、本件において原告らは、現にその固有の法益たる生命、身体を侵害されたとしてその損害賠償を求めているのであるから、被告らの主張は当たらない。そして、国家賠償責任において、当該公務員の行為(不作為も含む)が違法なものである以上、それによつて生じた損害を賠償すべきものであり、問題となつた行為の相手方が誰であるかは関係ないことである。又、被告国、同県、同市は、不作為の違法を問い得るのはそれが損害との関係において作為と同価値ないしはそれに準ずる場合に限られると主張するが、行政庁の権限不行使による責任は、通常の不法行為責任のように被害の発生に加功、加担した責任ではなく、行政が国民に対してその生活上の危険を防止する責務を負つていることに基づく独自の責任と言うべきであるから、被告らの主張は当たらない。

2 そこで、本件において、被告国、同県、同市に権限不行使の違法があつたか否か検討する。

(一) 請求原因1並びに同4のうち、フグによる中毒で毎年全国で数十名の死者が発生し、兵庫県内でも数名の死者が出ていること、及び東京都、京都府などでフグ条例を制定していることは、被告国、同県、同市との関係では当事者間に争いがない。又、<証拠>を総合すれば、被告県、同市においては、フグ条例は制定されておらず、魚介類販売業者、飲食店営業者らを対象に毎年フグ中毒防止のための講習会を開催するなどしてフグの有毒臓器を客に提供しないよう指導していたこと、それでも神戸市内のフグ料理店では通例肝も客に出されていたこと、そのため神戸市内の飲食営業施設においても毎年のように中毒事故が発生していたこと、の各事実が認められる。一般にフグの肝が猛毒を有することは公知の事実であり、以上の事実よりすれば、行政庁側において、本件当時神戸市内での飲食店におけるフグ料理による中毒事故の発生は、容易に予見し得たものと認めることができる。なお、この場合の予見可能性は、単に一般的抽象的にフグ中毒死事故発生の可能性の認識では足りないが、他方、具体的に被告田中の店における事故発生の予見可能性までは必要ではなく、神戸市内における被告田中と同種の店での被害の発生が相当程度の蓋然性をもつて予見できれば足りると解され、本件も右要件を充足しているものと認められる。

(二) 次に、これらフグ中毒事故防止の方法について考えるに、行政庁側において、有毒臓器を客に提供させぬよう法的規制や行政指導をさらに徹底することも一つの方法であろう。

<証拠>によれば、本件当時一二の都府県においてフグ条例が制定され、違反に対して懲役刑を含む刑事罰を課しているところすら存在することが認められる。しかしながら、フグのようなし好品について、行政庁側から種々の規制を加えるのは、それが事故防止に有効とは言えても、果たして実効性の面から唯一、絶対の方法と言えるかどうか慎重な検討を要する。<証拠>によれば、フグ条例によりフグを規制している都府県でも中毒事故が発生しているところがあり、逆にフグ条例による規制をしていない県でも中毒事故が発生していないところが存在し、又、神戸市内においても、フグ講習会受講者の飲食店でも中毒事故発生が認められているのである。特に、フグというものは、その臓器が猛毒を含むことは国民一般に広く知られ、又、有毒臓器とそれ以外の食用可能部分との識別は容易であり、そして、一般国民が常食にしているものと言うよりはむしろし好品と言えるものであつて、そのなかでも肝については一部の好事家に好まれるものなのである。

従つて、フグを摂取する個人において、フグ中毒を回避する手段は容易にとり得るものであつて、事実、前記のとおり本件の被害者たる亡潤一も、フグの肝と承知で敢えてこれを食べたのであり、それを避けることにより本件被害を容易に回避することができたと解することができる。この点で、医薬品や食品添加物のように、一般消費者が安全なもの有効なものを望みながらも、その安全性有効性を選択する能力も機会もなく、行政による規制に期待せざるを得ない場合とは、本質的に相違があるものと言わなければならない。

結局、本件の被害発生は、被害者個人において容易にこれを回避できたものであり、厚生大臣、県知事、市長らが規制権限を行使しなかつたとしても、そのことをもつて法律上の行為義務に反する違法なものとすることはできない。

3  なお原告らは、行政上の規制権限の不作為の他、食品衛生法の改正やフグ条例の制定という国や地方公共団体の立法の不作為をも、被告国、同県、同市の責任として主張するが、このような一般的抽象的な立法の問題は、立法機関の極めて広い裁量に委ねられているのであつて、本件において、立法機関がこの裁量権を著しく逸脱したものとは全証拠によるも認めることはできず、いずれにしても、本件事故について、被告国、同県、同市に国家賠償責任があるとする原告らの主張は理由がない。<以下、省略>

(林義一 河田貢 三輪佳久)

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